清浄華院に伝わる重要文化財『泣不動縁起』
現在はこの絵巻の存在ばかりが有名ですが、清浄華院には絵巻の物語の中に登場する不動明王の絵像が伝わっています。絵巻に描かれた物語の中に登場する、証空の身代わりとなってくれた不動明王の絵像。即ち「泣不動尊像」の存在こそ、清浄華院の不動信仰の源です。
泣不動縁起は、そもそも三井寺(滋賀県大津市・園城寺)を舞台とした説話。『宝物集』『発心集』『元亨釈書』など、多くの説話集が題材として取り上げており、その内容が世に広く知られていたことが分かります。
法然上人の伝記の一つである伝隆寛筆『法然上人秘傳』(下)にも泣不動尊の説話が引用されています。それによると、後鳥羽上皇の寵愛厚い「松虫」「鈴虫」という女房たちを勝手に出家させたとして、上皇の逆鱗に触れた法然上人が斬首に処せられようとした時、弟子の1人住蓮が、上人の身代わりとして斬首されることになったといいます。住蓮は、「證空阿闍梨ノ授法ノ師ノ命ニ替リケレハ絵像ノ不動明王行者ノ命ニ替リ給ヒケルト承ル」として『泣不動縁起』の証空と同じのように、自ら師匠である法然上人の身代わりとなることを望んだといいます。
松虫・鈴虫に関する顛末は他の諸本と異なっていますが、この『法然上人秘傳』が書かれた当時の浄土宗の僧侶にとっても、泣不動説話の内容が身近であったことを示す興味深い記述と言えましょう。
説話の主題である泣不動尊像は、後に高僧となった証空が開いたという常住院(三井寺塔頭)に宝物として伝わりました。
証空以後の時代も、泣不動尊像の霊験は大変あらたかであったようで、『寺門傳記補録』には井戸が自坊にないことを嘆いていた花王院覚助という人が泣不動尊に祈ると、忽ち庭から泉が湧いたという話が収録されていますし、中世文学『とはずがたり』にも、後深草天皇中宮・東二条院の御産祈祷に呼ばれた御験者・常住院良尊が本尊として泣不動尊像を祀ったという記事があります。 このほかにも光厳上皇が賊軍退散の祈祷を常住院道昭に命じ、泣不動像が本尊となったといった記録もあったりします。
これらの記録はいずれも泣不動尊像を三井寺常住院の宝物であるとしています。
泣不動の説話は鎌倉時代には絵巻に描かれ、また数多くの説話集に収載されています。そのいずれも三井寺が舞台のお話となっており、やはり泣不動尊像といえば三井寺安置の、霊験ある仏画として有名であったようです。
ではなぜ、現在清浄華院に泣不動尊像は安置されているのでしょうか。