泣不動縁起絵巻

泣不動縁起絵巻


清浄華院は浄土宗の本山としての寺格にふさわしい多くの宝物を所蔵している。その中にあって、「泣不動縁起」と呼ばれる絵巻物は異色のものと言えるだろう。
というのは、これが淨土の教義とは直接につながらない不動信仰を主題としているからである。


あらすじを追ってみると、三井寺の智興内供が重病に苦しんでいたとき、陰陽師の阿倍晴明に占したところ、寿命には限りがあるので如何ともしがたいが、もし弟子の中で身代わりをするものが有れば、代わるように祈ることはできると言う。
この時智興には多くの弟子があったが、すぐには誰も身代わりを申し出なかった。
ところが、最も若い証空が、自分が代わりになりましょうと申し出、ただ、八十歳になる老母に訳を話したいのでと言って帰郷する。


家に帰った証空は、驚く母に事情を説明する。

母は止めようとするが、今となってはしょうがない、師と約束したことだからと言って、証空は泣く泣く師のもとに帰っていく。
 
 

 
 
 
 

晴明の祈祷によって病を受けた証空は自坊に帰り、年来信仰していた不動明王に後生を祈ると、画像の不動明王が涙を流し、「汝は師に代わる、我は汝に代わらん」と言って檀の上に落ちた。
そのとき、たちまち証空の苦痛が治まり、病は本復したというものである。

絵巻では、この物語を病床の智興、証空の帰郷、母との別れ、阿部晴明の祈祷、病床の証空、不動明王への祈念と画像の落下、証空の身代わりとなった不動明王が瞑附に行くところと平伏する閻魔王、雲に乗って現世に戻る不動明王、平癒した証空が母と再会を喜びあうところといった諸場面で表現している。

 
この中で、不動明王が死ぬはずだった証空の身代わりになったことを、不動明王が地獄へ行くという図様で描いたところに画家の工夫が感じられるが、死を閻魔王庁への参向という図で表す絵巻の伝統をうけついでいる。

 
 画風は整った構図で、特に正確に描写された建物の構えなどに秀逸さがあり、濃彩の綺麗な彩色から大和絵の正系画家の作であることが想定される。制作年代は、霞の形態に形式化したところがあることや、その色調がやや暗いところなどから考えて、室町時代初期であろう。

 
ところでこの絵巻には、通常絵巻に付属している詞書がみられない。
それにもかかわらず、物語の内容を知ることができるのは、この物語が有名なもので、この絵巻だけでなく、「今昔物語」や「宝物集」などの説話集や、三井寺の記録に現れていること、また絵巻の作品も、清浄華院本だけでなく、これより古い鎌倉時代のものが東京国立博物館にあり、それには詞書が付属していることによっている(なお、奈良国立博物館には、詞書のない清浄華院本の写しが所蔵されている。)

 
この詞書をもたないことは、絵巻としては極めて異例のことであるが、その事情は明らかではない。

 
あるいは別の物語だけを記した巻があって、これを誰かに読ませながら絵を見るという鑑賞形態をとっていたか、また説教者がいて、物語をおもしろく語りながら、絵を見せていたかと想像されるのみである。
後者の場合には、師の恩の尊さや、仏に対する一途な信仰が身を救うと言うような説教が付属していたかもしれない。

 
こうした宗教的な主題の絵巻では、そのような教導的な目的を強くもつものがあることは事実だからである。

 
けれども、絵巻が物語を絵にして楽しむという娯楽として生まれたことを考えれば、その鑑賞においては「楽しむ」ということを忘れてはならない。

 
絵巻の楽しみの第一はもちろん物語りの面白さを楽しむということ、優れた絵巻作品として楽しむことである。

 

(京都国立博物館 若杉準治先生)(浄華59号より転載)